常磐津塚の建立
常磐津塚が千日前の自安寺に建立されたのは昭和32年6月のことです。6月18日に建立式が行われました。
「常磐津塚」の文字は村雲御所瑞龍寺11世門跡の九条日浄尼公によって揮毫され、石碑の下には劇作家高谷伸さんによる建立の辞が刻まれています。
当時は銅板に芸名を刻み、塚の後ろの土に埋めていました。
建立式の様子
昭和32年6月18日に行われました、建碑式の様子です。
写真後列左から佐竹ふくさん、内林浄光さん、池田麗進上人(自安寺17世瑞鳳院日浩上人)、九条日浄尼公(村雲御所瑞龍寺11世門跡、村雲尼公)、常磐津吾妻太夫、前列左から野村濵さん(芝居茶屋 稲照、自安寺総代)、津田由紀さん。
建立に関わった人々
自安寺の17世、池田麗進上人(瑞鳳院日浩上人)と、自安寺総代で、芝居茶屋 稲照の野村濵さん。
野村さんは常磐津塚の建立にあたって、みの家主人(料理)、常磐津吾妻太夫師とともにご尽力されたそうです。
発起人
- 春字太夫
- 常磐太夫
- 龍佑
- 綱太夫
- 文蔵
- 文規太夫
- 文叟太夫
- 文之助
- 文弥
- 文五郎
- 文糸
- 文優太夫
- 吾妻太夫
- 菊助
- 菊次郎
- 欣司
- 操太夫
- 三都造
- 三国太夫
- 茂兵衛
- 文字一朗
- 清三郎
- 花文字
- 小六
- 文字宏
- 文字国栄
- 文字巳喜
- 文字恵
- 文字福
- 文字雛
- 寿美
- 寿々美津
- 寿々福
- 寿々女
- 寿々東女
- 三都文字
発起人代表
- 常磐津文蔵
担当者
- 常磐津吾妻太夫
顧問
- 十六世家元 常磐津文字太夫
世話人
- 稲照
委員長
- 常磐津文字八
建立の辞
常磐津豊後三流の嫡統京に発し江戸に成る浄瑠璃なり
流行を極め断壓を蒙りし
先人の長を採り短を戒め
被厄以前に優る盛況を呈す
延享以来浪花の義太夫節に対し
東都劇場音楽に冠たり
情を盡し曲を練り弦聲豊かに流風勝る
大正末年七世文字太夫十五世宗家を継ぐに及び
和合宜敷を得屡次見臺を阪地に進め
斯道を擴め慈味深き語調に藝格益々貴し
今その七回忌に際し
師を始め故舊の遺芳を埋め塚を築き業績を偲ぶ
後人徒に蘚苔を涸す事勿礼
昭和三十二年薫風佳日 高谷伸 撰
昭和33年4月4日、施餓鬼会
常磐津塚移転とその後
昭和41年5月、大阪市の都市計画に基づく道路拡張のため、自安寺が移転することになり、常磐津塚も立ち退くこととなりました。
常磐津塚は昭和43年に江口の君堂・寂光寺に移転されました。平成7年4月4日に再び移転され、現在の位置となります。
平成15年4月4日には白御影石製の銘板を納める碑を塚のそばに建立いたしました。
常磐津節を支えた先人たちの名前をここで見ることができます。